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 ※以下、会議の関係資料2点(会員表&参加した方しか分からない「兜」の写真😁)

 

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葛飾区の水元公園 

D班担当 2022年5月18日

 

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「江戸東京博物館」と「相撲博物館」

   そして「ちゃんこ鍋」

 

C班 担当 令和2年2月14日

 

「江戸東京博物館」

 

 2月14日、参加者20名、春日部駅に集合、一路両国に向かいました。数名の部員は途中駅から乗車。この日は冬の季節としては暖かい一日でした。当博物館の案内ボランティアさんのお話では、中国人の見学者は皆無とのこと。新型肺炎の影響と思われます。

 「江戸東京博物館」は失われていく江戸、東京の歴史や文化に関わる資料を収集、保存、展示することを目的に、「 江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館 」として平成5年(1993年)に開館しました。

 案内ボランティアさんが3人でしたので、参加者も3つのグループに分かれての見学です。最初は江戸のまち作りの説明から始まりました。

 16世紀末に徳川家康が入府した当時の江戸は、古い江戸城と戦乱で荒廃した城下、港町の集落と周辺の村々が点在する程度で、家康と大勢の家臣団が居住するには狭すぎるものでした。

 家康は最初に城の拡充に着手し、建築資材や米などを江戸湾から舟で城に直接運ぶための水路を開き、内堀、外堀などを開削した発生土で日比谷の入江を埋め立てました。

 また神田山を削り崩して砂洲や干潟の低湿地を埋め立て、現在の浜町から新橋にかけての町々となる広大な市街地を造成しました。

城の周囲には家臣団の屋敷を配置し、城の常盤橋門外から東の浅草方面に向かう街道に沿って本町の町割りを行いました。

 本町とは「江戸の根本の町」という意味で、道幅を12mとし、通りの南北両側に幅、奥行きとも120mずつの町地を造成して、これらの土地に商人を居住させました。

 享保(きょうほう)年間(1716~)の頃、江戸の人口は100万人を超えたと言われています。

1800年頃、北京の人口が90万、ロンドンが86万人、パリが54万人と言われているので、江戸の町は世界的に見ても17世紀の大都市にまで発展したと言えるでしょう。

 

 

「相撲博物館」

 

  昼食後、両国国技館に併設されている「相撲博物館」を見学しました。酒井忠正氏が長年にわたって収集した資料をもとに、国技としての相撲資料の散財を防ぐため、昭和29年に開館しました。

 展示室は1室で、狭いスペースです。錦絵や番付、化粧廻しなど相撲に関する資料が展示されています。

 今回は「両国国技館35年と平成の大相撲」のテーマで、平成に誕生した横綱・大関を中心に「化粧廻し三つ揃い」などが展示されていました。

 

 

「ちゃんこ鍋」

 

  昼食は国技館の斜め向かいにある「ちゃんこ 霧島」でちゃんこ定食をいただきました。

 元大関・霧島(現在は陸奥親方)のお店です。みなさんも一度訪れてください。

 

 

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さいたま市大宮盆栽町と氷川神社散策

12月2日 担当B班

 2019年12月28日

 

 週間予報2日だけ雨模様でしたが、18名が参加予定通り、大宮公園駅を出発。まず「かえで通り」を歩く。

 街にマッチした家並み、手入は大変そうな印象を受けた。漫画会館(休館)を過ぎ、大宮盆栽村創設に尽力した清水利太郎(号・瀞庵)を称える「清水瀞庵翁紀功碑」を過ぎ、世界で初めて公立の「さいたま市盆栽美術館」に到着。ボランティアガイドの方がお出迎え。滞在時間などを確認し、盆栽の見方、手入、飾り方、歴史など熱心に享受して頂きました。

 盆栽の見方、支えている入れ物は何でしょうか。「ぼん台」、どうのように見たら良いのかちょっと下から、枝は樹幹から成長し、「根」と直接つながって木全体を支える樹幹は成長するごとに年々太くなるそうです。手当ては、水やり(朝夕2回)、根交換(3年位)、台風は紐で台と固定、雪は手で軽く払うそうです。
 庭園に出ると青空が広がっていた。樹齢数百年ものの盆栽が美しく飾ってある。盆栽ここの撮影NGだが庭園中央の休憩所から集合写真を撮る事ができた。

 次は、「四季の家」。周囲を盆栽園に囲まれ四季の道の散策と訪れた人のくつろぎの場として利用されている。

 つかの間の青空から灰色。傘をさしながら、「けやき通り」~公園駅を横に少し速足で氷川神社へ向かう。

ボート池、児童遊園地の側を通り境内に、人もまばら七五三らしき家族とすれ違う。少し駆け足でお参りを済まし昼食会場の藍屋に向かう。

若い店員が部屋に案内。皆さんそれぞれ食べたい料理を個別に注文。端末の操作は流石。お腹も満足、集合写真も撮り、C班から次回開催の説明。集金に手間が掛かったが、滞在時間を大幅に過ぎてもOK、さすが藍屋・・だね。まだやまぬ雨の中大宮公園駅で解散。一路帰路へ。

 


 

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街道も今や歩き易い

 千住大橋から草加市役所までを歩くとすると、9.88km、2時間3分。真北へほぼ国道4号を一直線。日光街道一番目の千住宿から二番目の宿、草加までだ。もちろんアスファルト舗装の歩道を通り、水たまりもなく、鼻緒が切れることもない。史跡がたくさんある左右の街並みを見ながら歩くと、感慨一入だ。車だとなんと19分だ、計算上は。

 

草加宿案内人の会

 「いきがい大学春日部学園24期校友会ブラ歩きクラブ様」専用のA4用紙5ページの資料を頂いた。宿場にちなんだ立ち寄り先や、歩くルートの説明と、詳細な地図と、さらに「長時間歩くから水分を十分に」と書いて下さっている。無料かつベテランの案内人、ありがたい。えっ、いきがい大学の先輩ですかお二人とも。担当のA班でも事前に、プランを紹介した案内書を配った。

 

宿場町の風情

 各戸の敷地は東西に長く、間口8間、奥行30間ほどが多いそうだ。ざっと230坪。街道に面した所は店舗で、その奥に蔵や、あるじ家族と使用人の居住部分、宿場の特徴的配置のようだ。ふむふむ。歩きながら左右を見ると、それらしい路地、建物が散見される。

 

文学と音楽

 街道には、草加にちなんだ人の名が出る。芭蕉、子規、虚子、あっ懐かしの名だ。いずれも歌を詠む人たちだ。そして近年の草加は音楽が盛んだそうで、「ハープ橋」のたもとで昼食にした。11月16日、17日に「国際ハープフェスティバル2019草加」が開かれるそうだ。あっ、カレンダーはその日は空白だ。

 

お点前をご一緒に

 ランチの後は、隣接する「お休み処」で、松並木を眺めながら一服頂いた。玄関を入ってすぐに、無料の麦茶が用意されていた。でも、せっかくだからと、大枚500円を払い、お抹茶と菓子を頂いた。おいしゅうございました。

 

 

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    岩槻城下町を訪ねて 2019年7月10日 担当D

2019年7月27日

 曇り空の中、日光御成道の両側に開ける久保宿町や明治初頭に建物がなくなった城郭などをめぐる城下町岩槻を訪ねて、ブラ19名が参加し岩槻駅東口をスタートしました。

 久保宿町にある国登録有形文化財の東玉大正館は建物正面が3分割され左右窓に古雛人形が展示されております。

 久保宿通り進むと大きな時の鐘の看板が目に入りますが御菓子屋さん(最中)、その反対側(渋江)に大イチョウと山吹が咲く敷地に県内最古の時の鐘が現在も1日3回音を響かせていますが残念ですが聞くことは出来ませんでした。

 大手口跡から時代を忍び語らいながら(おしゃべり)二の丸跡を出て明戸天満宮に参拝しました。岩槻城址公園は城の南に位置し新郭・鍛冶郭の跡地で園内には噴水や菖蒲池にかけられた朱塗りの八ツ橋が公園の新緑の彩がなお一層引き立たせており、八ツ橋をバックに記念の写真を撮りました。

 なお、園内には黒門・裏門・人形塚・白鳥城の碑があり時間の関係で全ては見学出来ませんでした。機会があれば訪ねてもよいと思います。

 公園を後にして信濃国諏訪上社を勧請した諏訪神社に御参りし武家屋敷が残る天神小路の酒造資料館に着きました。

 当館では御土産品コーナー、山岡鉄舟の書等貴重な展示室、酒造道具の展示があり、うれしいことに試飲もできました。説明によると酒造は今でも手作りで行っているとのことです。

 欲張り工程で昼食が遅くなりましたが松竹の名女優・三宅邦子の生家である「料亭ふな又」で水分補給(ビール)と食事、おしゃべりを楽しみながら一時を過ごしました。

 食事後に最後の見学地、県内に残る唯一の藩校である岩槻藩遷喬館を訪れボランティアの方から今に至る藩校の経緯など説明を受け当時の藩主の子弟は夜11時まで学んでいたとのことで昔の人の勤勉さに深く感銘を受けました。

 

歩いて学ぶは「ロコモ対策によし」・「認知症予防によし」です。そんな一日を満喫しました。

工  程 (5.2km) 

岩槻駅→ ①大椋(おおむく)跡(あと)→ ②東玉大正館→ ③一里塚跡→ ④時の鐘→⑤大手口跡→ ⑥三の丸跡→ ⑦本丸跡→ ⑧二の丸跡→ ⑨明戸(あけど)円満宮→ ⑩岩槻城址公園→ ⑪諏訪神社→ ⑫酒造資料館→料亭ふな又→⑬岩槻藩遷(せん)喬(きょう)館→ 岩槻駅

ブラ歩きクラブ

2019年6月29日

 仲間といろんな所を歩いてきた。天候も、草木も、街並みも、それぞれ違って、改めて心に沁みた。行った先々では、説明してくださる方が、みなさん丁寧で解り易く、私達はしっかりと聞いた。なにしろ「大学」だから。

  21人で発足し、毎回のウォーキングでは、4つの班が順にルートを計画して案内した。大人数なので日程の調整が難しい。いきがい大学卒業後は新たな仲間が加わり、22人になった。

大学卒業少し前に、「ブラ歩き部員証」を作った。歩きの写真から抽出して、名刺サイズにした。同じく、「表彰状」も作った。それぞれ部員全員分だ。罫線や顔写真、ハンコなど、よくよく見ると遊びをいっぱい入れてある名刺。

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 「薫風薫る宮代の田園風景の中、美味しい空気を胸いっぱい吸い込みながら、ぶらり歩きましょう」案内状・計画書の冒頭である。まさにこの通りだった。ほのかな新緑のにおい、田の水面からのまぶしい反射、ほかには何も感じない。いつもと同じようにおしゃべりしながら、ひととき街の喧騒から遠ざかった。

埼玉県東部の平地にある神社、この姫宮神社も微高地だ。本殿の脇で遺跡発掘をしていた。郷土資料館の学芸員から説明を受け、この辺りでは汽水域に生息するシジミも発見されたそうで、縄文海進があったからだと。さらに古来、どこでもあった「水争い」、この宮代の地では「水いらねえ」という争いだったとか。

私たちいきがい大学卒業生のブラ歩きクラブは、このように歩いて、聞いて、どうもケイコとマナブが好きそうです。当番さんの手配によるものだ。

お楽しみのお昼は、広場の前にある地場産品を扱う「新しい村」で、持参の弁当や、売店で買ったお稲荷さん、隣接しているカフェに頼んだパスタなどを頂いた。ここはパリか宮代か。

帰路はゲイジツ的な小学校や公民館を見た。これまた面白かった。

 

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 埼玉県東部地域はかなり平坦で、今までのブラ歩きで訪れた時に見聞きした、利根川、荒川、中川などの、水利、水運、洪水に密接に関係する施設、首都圏外郭放水路の調圧水槽、通称地下神殿を見学した。

昔から、台風などの大雨の時には、周辺一帯が水浸しになることがしばしばだった。水の調整機能でもある田畑や沼や池、そういうものが近年、少しずつ減っていき、水問題の解消のために、巨大なタンクを造った、それを見てみようと、見学用にリニューアルした、深い、暗い、施設を見た。

100段の階段を降りて見たのは、パルテノン神殿だった。いや、同じような円柱だ。洪水時の水を溜めるための空間と、地上を支える柱が、そそり立ち、高さと奥行と、静寂の空間に圧倒された。

地上に出ると、広い畑と、用水路脇の土手3キロに及ぶ、見頃の桜が待っていた。やはり春は桜だ。足元にはスイセンとギンパイソウも一緒に季節を感じさせてくれた。 

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 快晴の爽やかな一日を、いつもなら通り過ごしてしまう名所旧跡を、依頼していたボランティアガイドお二人に案内してもらった。西郷隆盛像前から始まり、彰義隊の墓、不忍池、寛永寺弁天堂、花園稲荷神社などを巡った。

銀杏・楠・欅・桜、ヒンドゥー教、西南戦争、東京湾の入り口、日本武尊、もう頭の中はフル回転だ。地理と歴史と植物で。たいへん古くからある神社仏閣を見て聞いて、はるか昔の歴史に思いを馳せ、新たな驚きと感動を味わった。

お昼は、かの有名な上野精養軒。やっぱり、シニセの味ですね。旨かった。

午後は、なんと、博識の仲間が案内。金箔張りの上野東照宮の創建はこれこれ、この上野公園はオランダのボードワンが云々、実は野口英世にはこういう話もあり、などなど、いきがい大学の学生ではもったいないくらいの解説をしてくれた。

見納めは国立西洋美術館。いろいろな絵画、彫刻などを鑑賞した。密度の濃い一日を満喫した。

     

  

 みのるくんの感想文朗読

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 私達の、ほとんどすべての料理に使われている、醤油。食と醤油の歴史を学び、奥深い香りを楽しみ、お土産を選んだ。

なぜ野田に醤油工場か。江戸への運搬のための利根川と江戸川の話を聞き、人々の生活に思いを馳せ、体いっぱいに香しい匂いをまとってきた。

大正時代に建てられた、醤油醸造家屋敷跡の市民会館も見学し、昔の生活様式がしのばれた。ここの屋敷と庭園は、CMやドラマのロケ地などにも利用されているそうだ。ぐるっと歩いて海鮮料理を頂いた。これで3回目。それぞれ地勢を学び、日本の芸術を聞き、食の歴史を知り、貴重な体験をしてきた。

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 東武線越谷駅に集まり、元荒川を越えて約45分間歩き、住宅街にある「花田苑」に入る。

B班の5人が担当し、事前調査の時に「こしがや能楽堂見学」を申し込み、当日、貴重な、初めて聞く能舞台の説明を受けた。

苑内では、廻遊式池泉庭園ということで、あれっ、兼六園かな、と思うほどの落ち着きのある池の周りや、京都の嵐山にある竹林と同じ風情の小径を歩いた。朝方に小雨が降った後なので、濡れた花や葉がたいへんきれいだった。

美しい、静かな雰囲気の庭園だからか、たまたま新婚さんの衣装撮影が行われていた。思わず私たちは拍手をして祝福した。

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 初回の権現堂堤は、見どころが沢山ある。桜、菜の花、紫陽花、そして秋の曼珠沙華。

日光街道沿いの宿場町を歩き、曼珠沙華が真っ赤に咲いて待ち受けてくれる堤を散策した。赤だけでなく白色、黄色の珍しい花も鑑賞できた。桜の大木が長い堤に連なり、木陰を作ってくれた。予約してある近くの店に入り、銘々で注文し、楽しく食事が出来た。

東武線幸手の駅まで往復14,000歩ほどを、少し汗ばむ陽気の中、元気に行って来られた。ブラ歩き部員も何度かこの幸手権現堂堤には来ているが、大勢の仲間と歩くのは、また、楽しい。初の歩き計画はA班が担当し、歩道の狭い所も、往来の激しい所も、安全に気を配る、きめ細かなサポートをした。