与野七福神を訪ねて

2024年1月12日

 雲一つない快晴で穏やか小春日和の1月12日(金)、史跡巡りクラブは、与野七福神巡りを実施しました。

 以前、隅田川七福神巡りをしましたが、与野七福神巡りは、昭和60年、埼京線が開通し、北与野、与野本町、南与野の3駅が開設されたことを契機に新な観光名所作りの一環として策定されたとのことです。

 ボランティアガイドの案内で、氷川神社(福禄寿)から始まり、一山神社(恵比須神)、天祖神社(寿老神)、御嶽社(弁財天)を訪れた後、ボランティアガイドから「『足の神様』に参りましょう」という提案があり、『足の神様』である大国社に参りました。拝殿には、全国から祈願に訪れた方々の草履(快癒の願いを記した布が貼付)が奉納されていました。

 円乗院(大黒天)では、ボケ防止観音としあわせ観音があり、参加者は、「ボケないようにお願いしましょう」などと言いながら、熱心に、かつ、真剣に祈願していた姿が印象的でした。そして、円福寺(布袋尊)、鈴谷大堂(毘沙門天)を訪れて、今回の史跡巡りは終了いたしました。

 本年は、年初から能登半島地震、羽田空港日航機炎上が起こるなど、多難な年を予感するような年明けでしたが、これを振り払うように七福神を祀る寺社を訪ね歩いて開運を祈る七福神巡りだったと思います。

 今回企画していただいた3班・鈴木 雅さん、ありがとうございました。

 今年も平穏に穏やかな日々を過ごしていきたいと願っております。

 校友会の皆様よろしくお願いいたします。

 

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浦和の史跡めぐり、延期(涙)

9月8日に浦和宿の史跡めぐりを予定しておりましたが、台風接近で大雨が予想されたため、急きょ、次回11月10日に延期となってしまいました(泣)

せっかく浦和名物の「うな丼」の豪華昼食を楽しみにしていたのですが。

まぁ、待つのも楽しみですので、乞うご期待😉

 

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築地を訪ねて 

2023年7月14日

  今回は、築地周辺の史跡巡りです。当日の7月14日(金)は、うだるような暑さにはならず、気持ち良く史跡を巡ることができました。

東京メトロ日比谷線築地駅を出て、新大橋通りを晴海通り方面に歩くと、異彩を放つエキゾチックな建物が目を引きます。築地の顔とも言える「築地本願寺」です。

 築地本願寺でボランティアガイドと待ち合わせ、ここから史跡巡りが始まりました。

ところで、「築地」の名称は、江戸時代の埋め立てにより出来た土地で「地を築く」からきているようです。

 築地本願寺は、1617(元和3)年、浅草横山町に西本願寺の別院として建立されましたが、1657(明暦3)年明暦の大火により喪失し、幕府から再建の場所として指定されたのは、八丁堀の海上でした。そこで、佃島の門徒たちが中心となり、海を埋め立て、正に「地を築き」1679(延宝7)年に再建され、「築地本願寺」と呼ばれる

ようになりました。現在の建物は、関東大震災後、1934(昭和9)年に古代インド仏教の様式や桃山建築様式を取り入れた荘厳な建物です。

 築地本願寺を後にして、備前橋、蘭学事始地跡、慶応義塾発祥地跡、運上所跡(東京税関発祥の地)、軍艦操練所跡、勝鬨橋などの史跡を巡りましたが、私の印象に残ったのは、トイスラー記念館に併設する聖路加国際病院でした。

 米国宣教医だったルドルフ・トイスラーは、1900(明治33)年来日し、聖路加病院(現聖路加国際病院)を創設するとともに、日本の医療向上のために優れた医療、看護の技術導入に寄与した人物です。記念館には、残念ながら入ることはできませんでしたが、聖路加国際病院は、1995(平成7)年3月20日に発生した地下鉄サリン事件では、事件発生直後から相当数の患者を受け入れ、治療をされたことを思い出しました。

 ボランティアガイドの丁寧な説明で無事に史跡巡りは終了し、築地魚河岸屋上で解散となりました。

 当番班長の浅子さん、史跡を案内していただいたボランティアガイドの皆さんには、感謝を申し上げます。ありがとうございました。次回の史跡巡りも楽しみですね。

 

築地周辺の地図です

 

マウスを左クリックしながら、上下左右に動かすと場所が移動、+/-で拡大縮小できます。スマホは2本指での操作になります。近くを探索して下さい!結構、楽しめます。

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日本橋界隈の歴史散策について

2023年3月10日

 

「江戸は日本橋」と言われるように、諸国から多くの職人や商人が集まり、江戸城下の中心街として栄えてきました。

 今回は、その日本橋界隈の史跡巡りですが、当日は、空模様が心配でしたが、晴天で春本番を感じるほどの暖かさであり、絶好の散策日和でした。

 ちなみに、都内の史跡巡りは。令和元年11月15日の「東京江戸博物館」以来で、参加者15名は、2班に別れてボランティアガイドの案内で史跡巡りが始まりました。

 日本橋の周辺を見渡すと、高速道路を日本橋川の下に通す工事が2040年の完成を目指して進んでおり、高層ビルが立ち並び、更にはビルの建設ラッシュなど、その変貌には、驚きでした。

 日本橋は、日本道路網の起点であり、現在の橋は、明治44年、木の橋から石造橋に改架され、橋の名板は、15代将軍徳河慶喜の揮毫で、当時の東京市長であった尾崎行雄の依頼と言われております。

 橋の塔柱には、獅子や麒麟の像があり、例えば獅子は守護を表し、橋の四隅にある二対の獅子像は東京都の紋章を前足にかけ、「東京を守る」ことを表し、麒麟は吉兆を示す伝説上の霊獣で東京の繁栄を象徴しているそうです。

 ボランティアガイドの案内で、迷子の特徴を書いた紙を貼る、いわゆる「迷子情報告知板」石標、常盤橋の整備に貢献した渋沢栄一像、重厚な建物の日本銀行本店、日本三大財閥の一つであった三井の三井本館などを案内されている途中、淡い紅色のおかめ桜(寒緋桜と豆桜を交配した品種)が咲き誇っている通りに出ると、思わず、「綺麗だな」「春だね」という声が聞こえ、心が穏やかになりました。

東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前」駅地下コンコース壁面に常時展示されている「熈代勝覧」絵巻(複製)は、11代将軍徳川家斉の世の文化2年(1805)に日本橋通りを行き交う人、犬、馬などが生き生きと描かれ、当時の賑わいを堪能できました。

約2時間の行程でしたが、日本橋界隈の歴史の一端に触れるとともに、さらに発展を続ける街が見事に融合しているのを再発見した史跡巡りでした。

 今回、当番班長として連絡調整などにご尽力していただいた浅子さん、ありがとうございました。次回は、5月12日(金)ですが、どの地の史跡を巡るのか、今から愉しみですね。

 

 

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加須史跡めぐり

2023年1月13日

 

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流山を訪ねて

  2022年11月11日

 小春日和の11月11日の金曜日、史跡巡りクラブ18人は、JR武蔵野線新松戸駅で乗り換え、流山鉄道流山線幸谷駅から乗車し、平和台駅で降り立ちました。

 ところで、流山線は、ワンマン電車の2両編成で切符を購入して乗車するのですが、都心で単線のローカル線は、どこか郷愁を感じました。

流山鉄道は大正2年(1913)、流山軽便鉄道株式会社として設立して大正5年(1916)営業開始し、町民の出資により、開業に至ったようです。

 2班に分かれて、ボランティアガイドの案内で史跡巡りが始まりましたが、江戸時代の流山は、江戸川、利根運河、すなわち水運に恵まれ、みりん、味噌、醤油の醸造業の産地として、人や物資が集まり、繁栄をしました。その顕著な例がみりん醸造で、現在も万上みりんの工場が稼働しています。

 当日は、晩秋の時節とはいえ、暖かく史跡巡りには絶好でした。部員の日ごろの行いが良かったのでしょうか?

 一茶双樹記念館は、みりん醸造で財をなした「秋元本家」跡にあり、俳人小林一茶が秋元家五代目と親交を深め、数十回訪れていたようです。記念館は風情のある建物で、庭は、枯山水の庭園になっています。部員からは、「あー、気持ちが安らぐ」などといった声があがりました。

 赤城神社は、上州(群馬県)の赤城山が崩れて流れ着き、赤城山ができたという「流山」の地名伝説発祥の地で、鳥居にある大しめ縄には圧倒されました。

 江戸川土手を歩いていると、心地よい風が身体を吹き抜けて、「最高だね」「気持ちいいね」と笑顔に満ち溢れていました。

 流山は、鳥羽伏見の戦い以来、敗走に次ぐ敗走を重ねた、新選組 近藤勇改め幕臣大久保大和、土方歳三改め幕臣内藤隼人に率いられた幕府軍二百数十名が転陣した地です(幕末から明治に掛けて造詣の深い校友会の皆様はご存知だと思います)。

 新選組が分宿した光明院、近藤勇ら幹部が敷いた最後の本陣跡(近藤勇陣屋跡)を訪ねたほか、今回も歴史的かつ由緒ある史跡・建造物をボランティアガイドの方々から、丁寧かつ分かりやすく説明をしていただきました。

 今回、当番班長として、ボランティアガイドとの連絡調整の労を取っていただいた鈴木 雅さんには、本紙面をお借りいたしまして、敬意を表したいと思います。ありがとうございました。

 次回は、来年1月13日(金)を予定しており、2班が当番で「寺社とうどんの街、加須市」を訪ねます。今から、ワクワクします。愉しみですね。

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古河を訪ねて

                    2022年7月8日  

 7月8日の金曜日、史跡巡りクラブ19人は、古河駅に降りた立ちました。昨年11月の栃木市蔵巡り以来の実施でしたが、ここに至るまで様々な出来事がありました。

 1月と3月は、まん延防止等重点措置、5月は大雨と強風のため、中止となり、ようやく実施の運びとなったのです。当番班長の小早川さんには、紙面をお借りいたしまして、感謝とご労苦に敬意を表したいと思います。

 さて、今回の参加者のほとんどが、2年半前の岩槻巡り以来、再会する部員がほとんどであり、あちこちで「元気だった?」「会えて嬉しい」などと、会話が弾んでいました。

 今回は、2班に分かれ、ボランティアの案内で史跡巡りが始まりましたが、古河は、江戸時代には、古河藩が置かれ、江戸幕府の大老・老中を務めた譜代大名が交代して治めていた城下町であったことなど、全く知りませんでした。勉強不足です。

 当日は、暑さもさほど気にならずに工程に従い、直木賞作家の永井路子氏が24歳まで過ごした旧宅などの史跡を巡りましたが、古河歴史博物館に展示されている「鷹見泉石と洋学」は、見学して良かったと思います。彼は、古河藩の家老として、藩主である土井利厚・利位を補佐する立場から、当時の重要事件を資料として集め、約3,100点が国の重要文化財に指定されています。

 そして、今回の史跡巡りは、徳川家康の側近であった土井利勝が建立した正定寺を訪ねて終了いたしました。

 班ごとで昼食となりましたが、約2年半振りに部員の方々に会えたことや、無事に史跡巡りを終えたことは、嬉しさと安堵でいっぱいです。

 

 次回は、3班が当番ですが、無事に史跡巡りが実施できるのを祈るばかりです。

 

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「栃木市蔵の街」めぐり

                                                         2021年11月12日

 

コロナも終息傾向にあり、一昨年の1月以来、本当に久しぶりの開催になりました。

今回は「栃木市蔵の街めぐり」、9名とともに秋の一日を、のんびりと散策を楽しみました。

片岡写真館、塚田歴史伝説館、横山郷土館、とちぎ山車会館、山本有三記念館を見学し、昼食は江戸安永年間創業旅館の「かな半旅館」にて。

午後は、自由参加で「蔵の街遊覧船」に乗船。巴波川から、蔵の街を眺めました。本当に久しぶりの史跡めぐりとなりましたが、天候にも恵まれ、楽しい一日となりました。

小早川さんの投稿の方も、閲覧して下さい。

 

次回は、来年1月7日(金)、古河七福神巡りです。コロナ終息を祈願する予定です。

 

 

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「歴史と人形の町 岩槻」

2020年1月25日

 令和2年が明けて、史跡巡りクラブが今年最初に訪れたのは、「歴史と人形の町 岩槻」です。

 岩槻は、「人形の町」として全国に知れ渡り、大変有名ですが、「歴史の町」として、どのような史跡があるのか、新たな知識を得られることを期待して、1月17日、参加者18名は、岩槻駅に集合した後、ボランティアガイドによる史跡巡りが始まりました。

 ところで、埼玉県の県庁所在地は、「さいたま市」ですが、岩槻市に県庁が置かれていたことをご存知したか?

  知っている校友の方は、間違いなく「ハナタカ」です。

 

 明治4年、明治政府は廃藩置県を行い、同年11月、埼玉県が誕生したのですが、県庁を置かなければ各種業務を進めることに支障をきたします。

 当時、岩槻は、埼玉県の中心に位置しているとともに、城下町であったことなどから、県庁所在地となり、県庁舎を「芳林寺」に置いたとされていますが、残念ながら、わずか1か月で浦和に移転されました(移転の理由は、色々あるようですが)。

 最初に訪れた芳林寺は、皆さんも良く知っている大田道灌の霊廟、騎馬像があり、子孫である大田資正の子氏真が母芳林尼の追慕のため、寺名を芳林寺としたと伝えられています。

 

 その後、岩槻郷土資料館(昭和5年に建てられた重厚な旧警察署で、留置室には、懐かしい足踏み式ミシン、火鉢などが展示されておりました、館内は、戦前に建築された警察署の雰囲気が漂っていました)、浄安寺(山門は、『やり返しの門』と云われています。八代将軍吉宗の日光参詣の際、行列が槍を立てたままだったので、門を通過出来ず、屋根を壊すよう命じたところ、藩主が『槍を返してお通りください』と言ったとかで、この名が付いた)、時の鐘(江戸時代に建立され、県内にある時の鐘では、最も古いものです。現在は、自動で6時・12時・18時の3回、美しい音色を響かせています)などを訪れました。

 

 町を歩いていると、各人形店の店先には、凛々しい姿の五月人形、穏やかで優しい顔をした雛人形などが飾られていますが、見ているだけで癒され、ほのぼのとした幸せな気持ちになりますね。

 

 全国的に有名な岩槻の人形は、徳川家光が日光東照宮の造営に当たり、全国から優れた工匠を集めたことに起因しています。

 当時、岩槻は城下町として、日光御成街道の江戸から最初の宿場町であったため、日光東照宮の造営や修築に携わった工匠たちの中には、この土地に住み着いた者も多く、桐を使って箪笥や下駄などを作るようになりました。

 原料の桐粉が豊富で、かつ、人形頭の塗装に必要不可欠な水に恵まれていたので、岩槻の人形が、連綿として今日に受け継がれてきたのです。

 日本の節句は、中国から伝わった厄除けの風習の一つですが、日本の風土、暮らしに合わせて、今日まで日本独自の文化を築き上げて来ました。

 日本には、「七草の節句」「桃の節句」「端午の節句」「七夕の節句」そして「重陽の節句」の五節句がありますが、日本の四季を感じ、子供たちの健やかな成長を願うなど、この生活文化を次世代に伝えたいものですね。

 

 本年最初の史跡巡りも大変有意義であり、岩槻に県庁が置かれていたことなど新たな知識を得ることができました。2班の皆さんありがとうございました。

 次回は、「江戸回廊・新選組痕跡をたどる」です。3班の皆さん、よろしくお願いいたします。

 

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「東京都江戸東京博物館」巡り

2019年11月15日

 

 立冬が過ぎた11月15日、史跡巡りクラブが訪れたのは、東京両国駅前に在る「江戸東京博物館」でした。当日はこの時季としては、穏やかで、ポカポカとした、とても気持ちの良い一日でした。

   当博物館は、江戸東京の歴史と文化を振り返り、未来の都市と生活を考える場として、平成5年(1993年)3月に開館しました。

  ボランティアの方が常設展示場を案内してくれましたが、展示場は、「江戸」と「東京」に分けられており、それぞれの時代を生きた人々の暮らし、文化などを知る展示物が溢れています。

 私達は、江戸時代に架けられた実寸大で復元模型の『日本橋』を渡ると、目の前に壮大なジオラマ模型が現れます。「江戸」の始まりです。今から約400年前の日本橋界隈が再現されており、街並みはもとより、人形の表情、着物は細部まで、丁寧に制作されています(正に芸術です)。

 江戸庶民が暮らしていた長屋(妻帯者、独身者の部屋)、浮世絵の一種である錦絵の制作工程、屋台の江戸前寿司・そば屋、魚売り等々、紹介しきれないほど、市井の人々の暮らしぶりが伝わってくるのです。

 江戸から東京に入ると、一転して、どこか懐かしい明治時代のエリア、大正、昭和、平成の文化、歴史などを知る展示物あります。

 その中でもフロアでひときわ目立つのが、12階建ての「凌雲閣」です。「雲を凌ぐほど高い」という由来から名付けられ、明治時代から大正12年まで、東京・浅草にありましたが、関東大震災の際、半壊し、解体されてしまいました。

 さらに、大正から昭和に掛けて、東京に住む人達のライフスタイルも大きく変化して行く状況を、和洋折衷の住宅、家具などの展示物により、見ることができます。

 そして、戦後、我が国が奇跡的な復興を果たし、経済成長と共に、人々の生活も豊かになった証である「三種の神器」をはじめ、学校給食に出た脱脂粉乳など、私達からは、ノスタルジアを感じさせる品々が展示されていて、「近所の家でテレビを見せてもらった」「これ、家にあった」と、思わず、口に出すほどでした。

 東京の変遷を見ていて、先人の弛まぬ、かつ、直向きな努力、揺るぎない信念をひしひしと感じました。約2時間30分の見学時間でしたが、「短かったな、もっとゆっくり見学したかった」というのが、参加者の感想でした。

 校友会の皆さんも、是非、ご家族、ご友人と見学に行かれることを、お薦めいたします。

 

次回の史跡巡りは、来年1月17日(金)、「歴史と人形の町 岩槻」です。

どんな感動が待っているのか、今から、楽しみですね。

 

 

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「しょうゆの街・旧野田市街」巡り

2019年9月29日

 

今回、史跡巡りクラブが訪ねたのは、日本の伝統的な調味料の一つである「醤油」の醸造で全国に知れ渡っている千葉県野田市です。

 涼風の下、9月13日、今回の参加者16名は野田市駅で集合し、ボランティアの案内で、市民会館(旧醤油醸造家茂木佐平治邸)、春風館道場(野田醤油発足時の本店社屋。現在は、野田市武道場)、茂木本家(醤油醸造家茂木七左衛門邸)、キッコーマン旧本店跡(昭和2年~平成11年まで使用された本店跡)、興風会館(野田のシンボル的建物)、旧野田商誘銀行(昭和19年、戦時金融統制により千葉銀行と合併)など、大正初期から昭和初期に建築されたノスタルジアを感じさせる建物を見学し、私達の年代には、何とも言えない懐かしさを感じました。

 その中でも、とても印象深かったのは、市民会館でした。当会館は、醤油醸造家茂木佐平治邸として大正13年ころに建築されました。その後、昭和31年(1956年)、野田市に寄贈されたのですが、豊かな緑に囲まれ、その重厚な佇まいはもとより、部屋ごとの照明、天窓など、ハイカラな造作が施されています。贅を凝らした建築物と言っても、過言ではありません。

余談ですが、皆さんが見たであろうTVドラマの収録やCM撮影がされました(番組名やスポンサー名は、書きません。ごめんなさいね)。

 昼食後は、希望者で第12代茂木七左衛門が収集した美術品が展示されている茂木本家美術館を訪れて、富士山を描いた作品、版画などを鑑賞した後、帰路に就きました。

 次回は、11月15日(金)、「江戸東京博物館」見学です。今から、楽しみで、

 

   ワクワクしますね。当番1班の皆さん、よろしくろしくお願いいたします。

 

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第5回史跡めぐり 造幣局の見学

2019年6月29日

  元号が平成から令和に改元されてから、最初の史跡巡りは、さいたま新都心駅から徒歩約12分の独立行政法人造幣局さいたま支局でした。

 

6月28日、同支局を訪れたのですが、前日から、台風が関東地方を直撃して中止になるのではと、その進路にヤキモキしていましたが、無事、実施することができ、安堵しました。

 

ところで、校友会の皆さん、造幣局の沿革をご存じですか?

 造幣局は、明治政府が近代国家としての貨幣制度の確立を図ることを目的に明治4年4月、大阪に創設され、さいたま支局は、明治12年に大蔵省内に造幣局東京出張所が設けられましたが、幾度の組織改編を経て、平成28年10月、現在地(さいたま市大宮区)に移転しました。

 同支局は、記念品として保有するプルーフ貨幣(プルーフとは、貨幣の仕上方法の名称です)・通貨貨幣の製造、更には勲章・褒章の製造等していますが、それらの製造工程(ビデオなど)を見学しました。

 

これを見て、正に熟練された職人技であり、我が国の貨幣の精緻は、世界に誇るものであると、改めて感嘆するとともに、博物館では、大判、小判などの古銭や、明治以降の日本の硬貨、勲章。褒章などの貴重な展示物を拝観しました。

 また、体験コーナーでは、千両箱を持ち上げましたが、20キログラムもあり、持ち上げるのに精一杯で、盗賊が肩に担ぎ、屋根をスイスイと逃げるのは、間違いなく時代劇の世界です。

 

昼食は、ホテルバイキングで楽しく、和やかにランチをして、解散となりましたが、次回は、「しょうゆの街・旧野田市街めぐり」です。

 

今から楽しみですね、待ち遠しいです

 

2019年4月17日 小石川文学コース

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 爽やかな春風の中、いきがい大学卒業後、新メンバーを加えた当クラブ23名は、ボランティアガイドの案内で文京区ゆかりの文人の足跡等を訪ねる史跡巡りが茗荷谷駅を出発して始まりました。

石川啄木終焉の地・顕彰室、播磨坂、金剛坂や、夏目漱石、永井荷風、幸田露伴など文人の史跡や文学の舞台、更に、徳川家康の生母「於大の方」、徳川氏ゆかりの女性などが眠る伝通院などを訪ねました。

 訪れた先々では、ボランティアガイドの説明に、「そうそう、思い出したわ」「勉強になった」などといった声が上がりました。

ところで、伝通院には、「眠狂四郎」の作者・柴田錬三郎氏の墓があるとは、知りませんでした。校友会の皆さんは、ご存じでしたか?

 そして、史跡はもとより、高校・大学などの教育施設が点在しており、正に「文教地区」と呼ばれるのに相応しい地区だと、感じました。

 春日部で顔合わせの懇親会を開催して、和やかにお酒を酌み酌み交わし、有意義で楽しい一日を過ごすことができました。

2019年1月11日 墨田川七福神巡り

 鐘ヶ淵駅をスタートし、多門寺から白鬚神社、向島百花園、長命寺、弘福寺、三囲神社に至る、隅田川七福神めぐりをしました。

 1月も10日過ぎであったため初詣の賑わいも過ぎた後で、ゆっくり見学をすることが出来ました。

 墨田区観光協会の方の説明が最新の無線を使ったイヤホンガイドであったため、非常に聴き易く、さすが東京都は観光にお金を掛けているなと感じました。

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2018年11月9日 川越史跡めぐり

  せっかく川越に行くのだから多くの名所を見たいなぁとの皆の要望もあり、最初、盛り沢山のコース設定にしました。

川越在住の鈴木(幸)さんのお姉さんから、こんな健脚コースではシニアには厳しいとの意見を頂き、急遽コースを見直してもらい再計画。

 また、お昼も「川越では絶対に鰻」との声も多かったのですが、地元の方しか知らない「隠れた季節料理のお店」を紹介してもらい、結果は大満足。

 喜多院、蔵造りの街並み、時の鐘、まつり会館、菓子屋横丁などを散策し、有意義な一日を過ごすことが出来ました。

 多くの助言を頂いた鈴木(幸)さんの川越在住のお姉さんに改めて感謝!!

2018年9月14日 春日部史跡めぐり

  粕壁宿は、江戸日本橋から、千住、草加、越谷に続く日光道中4番目の宿場町との事で、先ずは地元を知ろうと第一回の場所に設定しました。

「ぷらっとかすかべ」に集合し、春日部市史跡ボランティアの方の案内で粕壁宿を約3時間のコースで回りました。

我々が学んでいる文化会館が「国立薬草園跡」とのことも初めて知りました。文字通り、「灯台下暗し」ですね。